June 02, 2008

音の無駄と空間の無駄の関係1

唐突ですが、生音が好きです。

生音とは、生の音ということで、機械の音ではないということです。
もちろん電子音より生の楽器から出る音が好きだし、CDよりライブが好きだし、CDであってもきっちり録音されたものよりスタジオ一発録りみたいなルーズな録音のものが好きです。

んで、もちろん無意識にそういう音を好んで今まで来たわけなんですが、昨日ふとその原因に気づきました。
僕が好きなのは、音そのものよりも、音と音の間に感じる余韻なんです。
ギターでいうと弦の上で指を滑らせている感じであったり、
声でいうと息を吸い込むときの感じだったりという部分。
いい演奏を聴いているときは、そういう余韻が重なり合ってウォ〜ンウォ〜ンと頭の中でうねりまくる。いわゆるグルーブというやつです。

これって、音と音の間で、音にはなってないけど空気を震わせている感じとか、皆が息を合わせている感じとか、若干のテンポの乱れとか、感情の起伏とか、そういう部分が重なってできる現象なのだと思います。

つまり、デジタル化の流れ、録音技術の発達、音源データの圧縮などの技術にとっては、まったくもって無駄なもの。まず一番に省いていく要素です。どんなに演奏が上手くても、雑音を省いて綺麗に録音されたものには全然魅力がないんです。

あ、これは、建築における空間のゆとりと同じだな と思いました。




建築と建築家と設計事務所と住宅と横浜と家族と・・・
シキナミカズヤ建築研究所


skal1845 at 09:00 │Comments(0)TrackBack(0)clip!建築的雑記  | 社会的雑記

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